10.第二回ヘビー級公開オーディション

ヘビー級一行がアメリカから帰ってきた三日後、第二回のヘビー級公開オーディションが開かれた。

佐藤は、第二回であれだけの素材が集まったので、今回もまたその成果に期待していた。

今回の会場は新宿のホテルセンチュリーハイアットであった。

第一回と同じように、雑誌や新聞で参加者を募集し、当日は十七名の参加者が集まった。

佐藤は開会にあたり次のような挨拶をした。

「第一回のオーディションから、八ヶ月が経ちました。第一回の合格者はその後、専属トレーナーに付き、海外でも練習を積み、今年の二月にはプロライセンスも取得しました。福田以外は皆、素人からはじめた選手ばかりです。後ほど彼らのスパーリングを公開しますので、その成長ぶりを見てやってください。ヘビー級のオーディションはこれからも定期的に続けていきたいと思っていますし、またそれがボクシング界の活性化につながることを願っています。今日も有望な選手が登場してくれることを期待しています」

今回は会場にリングが設置された。

テストは前回のように一人ずつではなく、リングに二人ずつ上がり、まずミット打ちを行い、そこでもう少し力を見たいと思った審査員がサンドバッグ打ちのリクエストを出すようにした。

会場で配られた十七人の参加者リストのなかに、九三年のインターハイヘビー級で準優勝した仲松克夫の名があった。

身長一八七センチ、体重は一〇五キロという立派な体格が、リングの前に並んだ参加者の中でもひときわ目立っていた。

仲松のパンチ力はほかの参加者を圧倒するものだった。

連打するのではなかったが一発一発に揮身の力を入れて、ダンッ、ダンッと力強いストレートが打ち込まれた。

サンドバッグは二人かがりで抱えた。

会場の隅でオーディションの様子を見ていた福田たちも「おースゲエな、あのパンチ力、あれは合格間違いなしだよ」と口々に言い合っていたほどだ。

仲松は審査員全員一致で合格した。

しかし、当の本人は合格する自信はまったくなかった。仲松は合格発表後、記者たちの質問に次のように答えている。

「沖縄からこっちへ出てきてからも、ボクシングを続けたい気持ちはあったんですよ。でもそれにはまず、生活の心配をしなければならなかったし・・・。第一回のオーディションの広告を見て、給料もらえるなら専念できていいなあ、と思いました。それでまたこのオーディションが開かれることを知って、参加しました。でもホント、受かるなんて思わなかったし、自信だっであったわけじゃないです。今の心境は、またボクシングができるようになって嬉しいです。一期には自分より年下の人もいますが、何でも分からないことは聞いて、早く慣れてジムを代表する選手になりたいと思います」

仲松は沖縄の興南高校三年のときボクシングをはじめた。

もともとは陸上部で砲丸投げの選手だった。

ボクシング部に入ってわずか半年の練習でインターハイで準優勝した。

選手層が薄いクラスだからこそ、という見方もできるが、高校時代からパンチ力は目を見張るものがあった。

太い眉、彫りの深い顔立ちはいかにも気が強そうで、精惇なイメージを相手に与えていたはずだ。

インターハイでもフックやアッパーは使わず、というよりジャブとストレートしか練習していなかったためほかのパンチは打てなかったのだが、決勝に勝ち進んだ。

佐藤は仲松の登場をとても喜んだ。

オーディションは結構な費用がかかる。でも、仲松みたいな若者がまだ埋もれている。基本はできていないが、あれだけのパンチがあるのは楽しみだ。

「ヘビー級でボクシングをやりたいけどできなかった、という奴がまた現れたでしょう。大きな身体をもっていてボクシングが好きでも、練習相手もいないし、マッチメイクも難しいという理由で、あきらめてしまっている若者がまだまだいると思う。だからこそこういう重量級を育てるぞ、というオーディションが必要なんだ」

さらに今回、仮合格者として一人だけ残ったのは、第一回オーディションに合格後、大学卒業のため昨年の十二月から練習を休み、再度挑戦となった滝川である。

発表後、滝川は佐藤のところへ挨拶にいった。

「会長、もう大学も卒業しましたし、何の心配もありません。またよろしくお願いします」

「おう、頑張れよ。この三ヶ月であいつらまた強くなってるゾ、負けないようにな」

福田、浅利、市川、酒井、という一期生に、仲松と滝川が加わり、相模原ヨネクラジムのヘビー級は六名になった。

オーディションが終わった後、佐藤と春日井はこんな会話を交わしていた。

「春日井サン、第一期の選手たちのデビューなんだが、マスコミに発表している通り九月でいけそうかな」

「ええ、これまでは順調にきていますから、たぶん大丈夫だと思うんですが」

「問題は四人一緒に興行を組めるかどうかだな」

「日本とは勝手が違うところもあるみたいですが、向こうのプロモーターと何人か話をして、色々やり方はあると言っていましたから」

「じゃ九月デビューの線で、七月くらいになったらもっと詰めていこうか」

デビューを九月に想定して、これからの半年間はロードワークからみる、という春日井の希望で、浅利、酒井、市川、仲松、滝川の五人は三月末に本牧に引っ越した。

福田はこれまで同様、自宅から通うことになった。

毎朝、六時に春日井の自宅前に集合。

以前の合宿では根岸の森林公園までは車で行っていたのだが、これからはその間もロードワークのコースとした。

まず片道二・八キロのコースを走る。

森林公園までは、自転車で走っても途中で降りなければ上れないほどの坂もあり、八割が上り坂になる。

そして森林公聞に着いて三周走る。一周のうちにダッシュが三本、そして二十メートルのダッキングが加わった。

走り終えた後に、シャドウ、ダッシュ、腹筋などを行い、帰りの二・八キロは下り坂のためケガが心配されたので、クールダウンしながらゆっくりと帰るようにした。

毎日、朝からトレーナーがつきっきりになって、ロードワークによるスタミナ強化、それぞれのコンディションをチェックできるため体制はより充実した。

六人がジムにつくのは、午後の三時頃だ。

新加入の仲松は半年前の第一期生と同じようにジャブとストレートから練習をはじめた。

インターハイで準優勝したからと言ってもボクシング経験はわずか半年であったため、まず基本から身につける必要があった。

仲松はサンドバッグやミット打ちでも、ほかの選手と重量感が違った。サンドバッグがドーンと揺れる。ミットに当たる音がジムに響く。

酒井は仲松の練習をジムではじめて見たとき、この人のパンチ力は本当にズバ抜けているな、と思った。

技術的なことだけをいえば自分もひと通りのことができるようになってきたけど、パンチ力、スピード、テクニック、スタミナのうち、自分のはっきりとしたセールスポイントがあるわけではない。

仲松さんには誰にも負けないパンチ力が天性のものとして備わっている。ボクサーにとって素晴らしい財産を、酒井は羨望の気持ちをもって見ていたのだ。

確かにパンチはある。順調に育ったらスゴイ選手になれる素材だった。体格も申し分なかった。

体格のことをいうなら、福田はともかく浅利や酒井が今のままでヘビー級で戦うとなると厳しいものがあった。

浅利はもうひと回りかふた回り大きくなったほうがいいし、酒井はもっと絞って筋肉をつけていかないと世界レベルのヘビー級で戦うのはキツイ。

その点、仲松は筋肉質の身体がすでにできあがっていた

しかしこの段階では、ただドツクだけだから、覚え込んでいくことが山ほどあった。

佐藤が、仲松のスパーリングを見たくてジムにやってきた日、春日井はまだまだ基本が必要だということを仲松に分からせるために酒井とスパーリングをやらせた。

酒井にはこう耳打ちした。

「いいか、右だけは気をつけろ、あれをもし当てられたら倒されるからな」

もちろん酒井にもそれは分かっていた。いざ始まってみると仲松はコテコテにやられた。

パンチはほとんどかわされ、いいように打たれた。

スパーリングは二ラウンドで終わりになった。

「どうだった」

「強いスね」

「当たり前だ、お前がくるまで半年間、シゴイてきたんだから、そりゃ違うだろ」

しかし仲松は次の日、スパーをやるかと聞かれるとすぐに、やらせてください、と返事をした。

昨日打たれた分を今日はそっくり返してやるという顔つきであったが、一日二日で技術が向上するわけではないのでまたしても一方的にやられてしまう。

しかし仲松は打たれても下を向くようなことはしなかった。

酒井の顔をじっと睨んでコンチクショ! といった目つきをしている。

そういうことはボクサーにとっては大切な事だ。闘うセンスというか、戦う姿勢、気持ち、これは教えても教えられるものではないからだ。

「あの負けん気の強そうな目がいいねえ」

とスパーリングの内容はともかく、佐藤は嬉しそうに言った。

滝川は第二回のオーディションに合格するかどうか不安だった。

むしろ第一回目のほうが自信があった。

大学卒業をうっちゃってボクシングに専念すれば、一期生として残っていくことはできたのだが、やはり大学だけは出ておきたかった。

いずれ引退して第二の人生を考えると大卒の肩書きはとっておかなくてはならないもののように思えた。

しかしそれゆえジムやトレーナーから不信感をもたれてしまったのではないかという気持ちがあった。

確かに佐藤をはじめとするジムサイドにしても今度は大丈夫か、という危慎がなかったわけではないが「もう一度やらせてみよう」という佐藤のひと声で仮合格になったのだ。

十二月までは不定期ではあったがジムに通ってきていたので、まず基本のおさらいからはじめたが、再開してまず感じたのは、この三ヶ月でずいぶん差がついたなあ、ということだ。

しかしもともと第一期のなかでも運動神経は良かったし基本的な体力もある。

五月に入って、フットワークのメニューが加わったとき、最も飲み込みが早かったのは滝川だった。

左回り、右回り、足の入れ替え、フェイントのかけ方、どれも初めてにしては申し分ないものだった。

滝川は自分にはアウトボクシングが合っていると感じた。

柔道をやっていたときも重量級にしては抜群のスピードがあったことも自信につながった。

滝川はみるみるフットワークの技術を身につけていった。

春日井も、

「このままいけばお前は重量級の最速の選手になれるぞ」と言った。

課題は攻撃面にあった。

手数を増やすこと、攻撃のバリエーションを身につけていくこと、それとアウトボクシングでいかに相手をだます技術を身につけていくかであった。