1 第一回ヘビー級公開オーディション(1)



ラスベガスでのデビュー戦のおよそ一年前、1994年、8月28日。

記録的な暑さが続く夏がいまだ終わりを告げず、強い日差しをサンサンと放っている日曜日の午後、東京紀尾井町のホテルニューオータニ「梅の間」で、前代未聞の“イベント“がはじまろうとしていた。

「ただいまより、相模原ヨネクラジム主催、第一回ヘビー級プロボクサー公開オーディションを行います」

司会者の声が会場に響いた。

プロボクサーの公開オーディション。これは、日本のボクシング史上初めての試みであった。

参加者を募るために、6月から8月にかけてボクシング専門誌はもちろん、プロレス雑誌、スポーツ新聞などに派手な広告が打たれた。

 そこには「HeavyHungry目指せ!世界最強の男、ヘビー級チャンピオン!」という見出しが踊った。

何よりもこのオーディションの目玉は、合格者に破格の待遇が用意されていたことだ。

その内容は、デビュー前から給料が支払われ「副業」をもたずボクシングのみに専念できること、ワンルームマンションが無料で用意されること、また定期的にアメリカへ滞在し向こうのジムでトレーニングさせる、といったものだ。

さらに、ファイトマネーのほかにプロデビュー5試合後には1000万円というビッグな契約金が出る。

1000万円といえば軽量級の世界チャンピオンのファイトマネーに相当する。

四回戦ボクサーのファイトマネーは手取りで四万円そこそこであるから、この契約金がいかに型破りなものであるか分かる。

このオーディションを考えたのは相模原ヨネクラジム会長の佐藤太治である。

当日、やや小柄ながらガッチリとした体つきの佐藤が会場に姿を見せると、記者たちがサッと周りを取り囲んだ。

すかさず、
      「会長、オーディション開催の目的は?」

という質問が飛んだ。短く刈り備えられた髪をひと撫でし、人なつっこい笑顔を見せ、待ってましたとばかりに、佐藤は一気にこう答えた。

「ほかの階級だったらわざわざオーディションなんてしませんよ。

ヘビー級だからやるんです。ボクシングはヘビー級ですよ。

ねっ、わかるでしょ。やっぱり、迫力が違いますよ。世界最強の男ですよ。

日本人は体格が小さくて重量級で活躍できないなんていうのは、ひと昔もふた昔も前の話で、日本人も大きくなっているんだから、ヘビー級で活躍できる素材がいるはずです。

その素材を見つけるのがオーディションの目的です」

 「それにしても思い切った待遇ですね」

「ヘビー級でやっていける素材であればこれくらいの待遇は当然ですよ。だいたいボクサーをめぐる環境というのは、リスクが大きいわりに素晴らしいとは言えないでしょ。世界チャンピオンにでもならないかぎり名声も金も手に入らない。日本チャンピオンでさえ拳一つで生活するのは難しい。まして四回戦、六回戦クラスの選手ではもうひとつ別の職業をもちながら生活してるのが当たり前でしよう」

たしかにサッカーや野球あたりとくらべると、プロとしてボクシングだけで身を立てることができるのは限られた者だけだ。

ひと昔前は「世界チャンピオンになって有名になって大金を稼ぐんだ」と地方から上京して名門ジムの門を叩く者もそこそこいた。

しかし、着のみ着のまま、ポケットのわずかな金を握りしめてやってくるようなそんな人間は、今では天然記念物となりつつある。

ボクシング業界にもスカウトはある。しかしそれは学生時代にアマチュアとして優れた戦績を残し将来を嘱望される一握りの者だけだ。

それにしても生活のための仕事を斡旋してはくれるが、ジムからファイトマネー以外の「月給」が出るはずもない。

そんなことをしていたらジムの運営が成り立たない。

しかし、そんな業界の常識にこだわる必要はないと、佐藤は考えていた。
 

日本ではここ数年、ボクシングをはじめる若者が増え、プロライセンスの受験者数をみると、九四年には初めて二千人を超え、今年はさらに増えて二千五百人を超えそうな勢いである。

プロボクサー志望者が増えているなら、そのなかの優秀な選手にはボクシングに専念できる環境を用意するのが理想だ。

「だからね」

と佐藤は記者たちに向かって言葉を続けた。

 「僕はそういうジム運営がしたいんですよ。プロ野球だってドラフト選手には一千万どころか億という契約金を出しているじゃないですか。ボクシングのヘビー級タイトルマッチは世界中の話題になるんですよ。
  注目の的なんだ。一般の人も軽量級のチャンピオンの名前は知らなくても、タイソンやフォアマンは知っているでしょ。彼らのファイトマネーは何十億にもなる。それがヘビー級のすごさなんだ。価値なんだ。

そしてそれは日本人の手の届かないステージじゃないと思うんですよ」

 実は佐藤が日本人のヘビー級ボクサーを育てようとしたのは、この時にはじまったことではない。

相撲界を引退した北尾(元横綱双羽黒)を誘ったこともあったし、人気レスラーの高田延彦にヘビー級ボクサーにならないかと勧めたこともあった。

下半身の安定度や腰のキレ、リストの強さや腕力などを考えると野球の選手はボクシングに向いていると、プロ野球の二軍で芽の出ない選手をボクサーに転身させようとしたり・・・素晴らしい素材がいると聞くたびに、何人かと会い誘ってみたが、いずれも叶わなかった。

お願いしてきてもらうんじゃなくて、本人自身にやってみたい、という気持ちがなければ駄目だ。

 それならうちのジムではヘビー級の選手を育てるよ、そういうアドバルーンを上げよう。

専門誌に小さな広告を出すだけでは話題にならない、とびきり派手にやってやろう、と佐藤は考えた。

「そのためには夢を見られる環境が必要だ。そこでこのオーディションです。日本人のヘビー級選手を育てるためなら1000万円なんて安いもんです」

オーディションに興味をもった若者のなかから、体格に恵まれ、運動神経もありボクシングセンスをもった人間を発掘しよう、というわけだった。

佐藤の目論見は当たった。

(つづく)