9・N・Yへ武者修業Ⅰ

ニューヨークか、どんな相手とスパーリングできるのか楽しみだなあ、と酒井は自分の部屋でテレビをボーッと見ながら考えていた。

プロテストに合格した後、以前から予定されていた海外での練習が具体的になった。

日程は三月二日から十五日までの二週間、場所は以前春日井が行って交渉済みのニューヨークのキングスウェイジムであった。

「酒井ー、いる?」ドアが叩かれて、隣の部屋から浅利がやってきた。

「お前さ、英語話せるの?」

「できるわけないでしょ、外国だって行ったことないんだし。浅利サンは出来るん?」

「俺だってボートばっかりやってたんだからできないよ。それでさ、これからも外国に行くことがあるだろう、オレたち。だから英会話の勉強をしないかと思ってさ」

「いいよ!俺は。通訳の人がいるんだし、それに長老の市川さんが英語できるって言ってたでしょ、一緒にいれば不自由しないしさ、勉強はキライだから。ボクシングに言葉は必要ないもん」

「向こうの記者が取材にくるかも知れないぞ」

「そんなこと、あるわけないでしょ」

福田以外は初めての海外練習であった。遊びに行くのではないが、やはり楽しみだったので何かというと、その話題で盛り上がった。

佐藤はこの渡米にあたって二つの目的を春日井に伝えていた。

ひとつはまず、みんなに本場のボクサーとスパーリングさせて、力を確認すること。

そしてデビューまでに何が足りないかを勉強してくること。

もうひとつは、デビュー戦をニューヨークで行う場合を考えて、現地の情報やプロモーターと接触してくることだった。

選手にとってはそれぞれ自分の力が果たして四回戦で戦えるレベルにあるのか、というのが一番のテーマだった。


出発当日、成田空港で記者会見が行われた。四人はニューヨーク行きの抱負について、それぞれ次のように答えた。

福田「前回のマイアミではスパーリング相手との力の差がありすぎて実力をはかるどころではなかったですから、今回は、自分の力を試して、デビューまでの課題を見つけたいと思っています。また一人じゃないんで気分的にもリラックスできると思います」

酒井「とにかく外国人と初めてスパーできるので楽しみです。とにかく腕試しです。黒人には負けないゾ、ってとこですか。ああそれにニューヨークは物騒だっていうから、あんまり出歩かないように。もっとも英語もしゃべれんし、一人で買い物もできませんからそんな心配ないですね」

浅利「キャリアは浅いけど向かっていく気持ちだけはもっていようと思います。特にコワイという気持ちはないですね」

市川「今まで教わったことをすべて出せれば成果はあると思います。最近自信がついてきた左フックが通用するか試してみたいと思っています。ひと泡吹かせてみたいですね」

記者会見後、四人はスポーツ新聞社が用意したハチ巻きを頭に巻いてガッツポーズ。そのハチ巻きには「必勝」そして「神風」という文字が書かれていた。

「スッゴク恥ずかしいのを我慢して」みんなしぶしぶ頭に巻いて写真に収まった。

その写真がスポーツ新聞各紙にバッチリ掲載された翌朝、一行はケネディ空港に着いていた。

飛行機の中ではあまりよく眠ることができなかった。四人の座席が隣り合わせで、ひじょうに窮屈であったこともあるが、やはり少なからず緊張感もあった。

空港の外に出たみんなの第一声は「こんなに寒いのかよー」であった。三月初旬のニューヨークはまだ寒気がおおっていた。

「寒い寒い」を連発しながら迎えの車に乗り込んで、マンハッタンへ向かった。

宿泊先はヒルトン・タワーである。

翌日から練習が始まった。朝ロードワークして、午後は三時頃からジムワークという、日本にいるときと同じメニューで行われた。

ロードワークは毎朝セントラル・パークを走った。

外はまだ暗い六時に起床。

公園のちょうど真ん中辺りに位置する池の周りがジョギングコースになっていて、勤め前のニューヨーカーたちが大勢、走っていた。

一周およそ二キロというコース。公園の回りを囲むように高層ビルが林立している。

セントラルパークの午前七時の気温は零下である。吐く息がプワーッと真っ白く立ちのぼっていく。

マンハッタンのジョッガーたちに混じって走る気分はまんざらでもなかった。

「酒井、頭のなかにロッキーのテーマが流れてるだろ」と浅利が言った。

「寒くてそれどころじゃない」

キングスウェイジムは五番街の二八丁目にある。

八九年のオープン当初は八番街と四十丁目の角にあったが、行ったときはちょうど引っ越しの真っ最中だった。

キングスウェイジムは、アリをはじめフォアマン、レナード、チャベスなどニューヨークへきたボクサーの多くが立ち寄る名の通ったジムだ。

ジムはゆうに百坪を越える広さ。

リングは二面あり、ウェイトの各種マシン設備も充実している。

引っ越し中のジムはリングが一面、サンドバッグ、ウェイトマシンは設置されているが、もう一面リングをつくるため、オーナーのマイケル・オラジデ自ら、板を抱え、トンカチと釘をもって素人とは思えない手つきで器用にリングをつくっていた。

五一歳のこのオーナーはナイジェリア生まれ。

ライト級の選手として西アフリカのチャンピオンになった後、アメリカを中心にヨーロッパのリングでも戦った実績の持ち主だ。

オラジデはみんなを前にしてこう言った。

「ようこそキングスヴェイジムへ。ジムに通う練習生は三百人いるんだが、今は引っ越しの最中だから普段よりちょっと少なくなっている。

でもスパーリングの相手には不自由させないよ。

日本にもこのくらいの規模のジムはあるのかい?WBC世界Jrフェザー級チャンゼオンのエクトール・アセロ・サンチェスを知っているかい。ヤツもこのジムに籍をおいているんだよ」

ジムはとても自由な雰囲気だった。

オラジデは、

「自分は有名なトレーナーではないから、ジムもガチガチの規則をつくらずに、誰もがトレーニングできるようにしているんだ。それにしても日本のプロボクサーが練習するのは初めてだよ」と言った。

ましてや日本人でヘビーなんて聞いたことがないし、見たこともなかった。

「そのせいかとても強そうに見えるな」とオラジデは笑いながらつけ加えた。

時差ボケをとることもあって、スパーリングが行われたのは五日目からだった。

メインのパートナーとしてオラジデが選んだのはショーンという黒人選手だった。

身長は一八十センチほど、体重は九五キロ前後。身長はさほどでもないが骨格、筋肉の発達した素晴らしい体つきだった。

「なんかタイソンのニセモノっていう感じだな」

「えらいゴツイ顔しとるね、それにあの腕、すごいな」

ショーンが近づいてきて「ハーイ」と挨拶してきた。そしてペラペラと話し始めた。

酒井が、「何言うてるん」と浅利に聞いた。

「俺だってわかんないよ、やっぱりもう少し英会話を勉強しとけば良かったな。まぁよくきたって言ってるんだろう、ニコニコ笑ってりゃいいんだよ」

「英会話の練習の成果が出てないじゃない。でもよくよく見ると愛嬌のある顔してるよ」と言いながら握手をして挨拶をすませた。

ショーンはこの時「ゴールデングローブ」という由緒ある全米大会のニューヨーク州予選でベスト四に残っていた。

アマチュアではあるが、プロの四回戦であっても上のレベル、という実力があった。

アメリカにはこんな選手がごろごろしているわけだ。ショーンは正攻法でスピードがありヘンなクセもなかった。

春日井は、「ショーンの実力を目安にスパーリングをすれば力が分かる」選手にそう伝えた。

ショーンをメインのパートナーに日ごとジムのクルーザー、ライトヘビーの選手が入れ替わりスパーリングの相手をしてくれた。

スパーリンクが始まるとリングの周りにドッと練習生たちが集まってくる。そしてジムメイトへの賑やかな声援が送られる。

「ヘイ、ボディがガラ空きだゾ、ボディからフックいけ」「効いてる効いてる、倒しちまえ」

「足使え、足、動きに付いてこれないゾ」

こちらはラウンドの合間合間に、春日井の指示が飛ぶ。

「浅利、もっと手を出せ、手を出して、ここだという時に一発だよ。手数がなければ一発もないゾ。倒すにはその前のお膳立てが必要なんだよ、いきなり打って倒れるほど相手はバカじゃないぞ」

「市川っ、下を向くな、下を向いてるときにガードがガラ空きじゃないか、アッパーのえじきになるぞ。

それに足を使う相手を追い込むときは、広い方のスペースをふさいで斜め斜めに追い込んでいくんだよ」

オラジデは大きな目をギョロッと見開いて興味深くスパーリングを見つめていた。

そして、ボクシングのトレーニングをはじめてまだ半年も経っていないわりにはなかなかイイじゃないか、という印象をもった。

そして、これから技術を吸収していけば素晴らしいボクサーになる可能性がある、そう思った。

実際に手あわせをしたショーンは酒井が最も印象的だった。

「サカイは全体的によくまとまっていると思う。スピードもあるしバランスがイイ。ラッシュも力強いしね。フクダは身体は大きいがこっちが懐に入ると弱いね。フクダに得意の攻撃パターンがあると手強さを感じるんだけどね・・・」

酒井はスパーリングでそこそこ自信をつかんだ。日を追って慣れてくるにつれて、一番イイ動きをみせていた。

ショーンは姿カタチはコワイけど、ボクシング的にはビビることはない、そう思った。

パンチも予想したほど強くないし。アマチュアでもレベルが高い選手と五分に近いレベルでやれた、という手応えをつかんだ。

福田は一発受けるとモロイところがあった。巻き返せないで、ズルズルッと後退してしまう。

力強きがいまひとつ感じられないのだ。福田自身それは十分に感じていることで、自分でも五分五分にはほど遠いな、と思っていた。

ガードが甘いクセも出てしまうし。あのくらいの速さについていけるように練習する、

という課題は見えたけど、それだけじゃなく全体的にデビューまでまだまだやることがたくさんあるなあ、そんなことを考えていた。


- つづく -