12.日本人ヘビー級ボクサーの可能性


相模原ヨネクラのヘビー級選手がいよいよデビューを間近に控えた。

この頃すでに佐藤は国内でもヘビー級の選手がポツポツと登場し始めていることを耳にするようになった。

こうした状況はオサムジムの西島の登場以来のものと言えた。

佐藤自身もヘビー級選手育成についてはそれ以前から考えてはいたものの、西島洋介山の活躍によって「やはり日本人でもできるんだという勇気を得た」のだった。

さて日本人のヘビー級ボクサー育成について、ボクシング関係者はどのように考えているのか。

全日本ボクシング協会の事務局長でありヤマグチ土浦ジム会長の岩本悟は、まだまだこれからだと言った。

「うん、西島洋介山が出て、火がついたという感じはあるね。関西の方からもヘビー級が生まれているらしいし。ただ、勘違いしちゃいけないのは、まだまだこれからだということ。洋介山にしても、この間、オサムジムの会長と話していてこう言ったんだ。西島は初めて八回戦をやった時(平成六年三月対ポールグリフィン戦)実力的に六回戦ボクサーになったね、と。その後、大阪でやった十回戦の時には(平成六年十月対アンドレ・シェロード戦)八回戦ボクサーの力がついていた。もしヘビー級の日本ランキングがあったとしたら、洋介山にしてもようやく八位か九位あたりでしょう。日本チャンピオンが見えてきた、というレベルだ。そういう意味でまだこれからなんだけど、昔を考えればスゴイことなんだよね。日本のヘビー級も洋介山の後から、次々出てきて、草創期を迎えられるんじゃないかという時期に来ているんだと思う。ヘビー級の卵たちに頑張ってもらいたいね。だから育成しているジムは中途半端でやらないで欲しい。始めたからには続けることだよ」

日本のボクシング界に初めてヘビー級ボクサーが登場したのは四十年前のことだ。

昭和二十年末から日本人のヘビー級ボクサーの育成に情熱を注いだ不二拳の岡本不二会長が相撲界から人材をスカウトしてきた。

その中には初代日本ヘビー級チャンピオンとなる片岡昇もいた。

その後相撲界から、中越豊、村下巌といった選手がボクシングに転身し、昭和三一年に日本最初のヘビー級ランキングが発表された。

チャンピオンは空位で、一位が片岡昇、二位が村下巌、三位が山中武雄であった。

翌年の五月四目、東京の京橋公開堂で片岡と中越との間で日本初のヘビー級チャンピオン決定戦が行われた。

この試合で片岡が判定勝ちをおさめたわけだが、当時、現役選手として試合を観戦していたある人はこう言っている。

「二人ともボクサーの体型ではなかった。ヌーボーとしていて動きも緩慢で、見ていて面白くはなかったですよ。今はヘビー級といえば騒がれますけど、当時は世間もそれほど関心を寄せませんでしたね。印象に残ったことを思い出そうとしても、そんな試合もあったなあくらいしか覚えてませんね。ボクサーの間で話題になったわけでもなかったですから」

当時の記録によると、試合内容はスピードもなく、ヘビー級らしいパンチの応酬もなく、スリルにも欠けたものになった、という。

片岡はその後病気になり、さらに挑戦者も現われなかったため、コミッションは五八年一月一日付けでタイトルを保留、以後日本のヘビー級ランキングは現在まで消えてしまっている。

七七年にアメリカのリングで五連続KO勝ちをおさめ、和製ロッキー・マルシアノと呼ばれて登場したのがコング斉藤だ。

帰国後さらに連続KO勝ちを八試合に伸ばしたが、その次の試合でミドル級の長岡俊彦選手にKO負けを喫し、再戦もまたKO負けとなり、その後姿を消してしまった。

西島は、それ以来日本人としては十三年ぶりのヘビー級ボクサーとしてデビューし、快進撃を続けている。

相模原ヨネクラジムのほかに、西島の後を追っているヘビー級の選手は五人いる。

(九五年十月現在プロライセンス取得者)。

愛知県豊田市の和光ジムには、倉橋達也選手がいる。

倉橋は学生時代から社会人を通して、アメフトを続けていた。

一七八センチで九六・七キロ、肉弾戦で鍛えたガッチリとした体格。

今もウェイトトレーニングを欠かさず行っている。

倉橋がジムにやってきたのは平成五年の九月だった、と和光ジムの島本和光会長は記憶している。

本人は当初はプロになるつもりはなかった。

ジムに通いはじめてから、半年ほどたってから、プロ試験を受けてみる気になった。

「試験受けてみるか、と聞いたら本人がやってみるというんで、ライセンスを取ったんです。倉橋はまもなく三十になりますが。なかなか練習熱心でしてね。本人も「あと何年か分からないがやれるところまでやりたい」と言っています」

アメフト出身のせいか、足のパネが強く、ウェーピングやローリングはうまい。

難点といえばコンビネーションがスムーズにいかない、シャドウをみていてももどかしくなるときがある、と島本会長は言う。

しかしパンチ力は相当なものだ。

これまでサンドバッグを三つ壊し、ウォーターバッグも破いてしまった。

「全国各地でヘビー級が誕生しているのは知ってます。これからは育てているジムと、連絡をとって、なんとか試合をさせてやりたいですね」

また和歌山県のワールド・クラトキジムには、松本源蔵選手が所属している。

松本は身長一八二センチ、体重は九二キロ。学生時代から格闘技が好きで柔道や拳法をやっていた。

ジムに見学にきた松本に、原田哲也会長が「どうだ、やってみたいか」と聞くと「やってみたいです」と答えた。

原田会長は、松本は身体も締まっているし、育てて強くなればヘビー級だから楽しみが増えるんじゃないか、と思った。

二月にプロテストに合格し、デビュー戦は倉橋に判定で勝った。

はじめのうちはスパーリング相手にも不足して、自費でアメリカに行かせた、という。

スパーリングはジムのミドル級の選手を相手に行ったり、重量級の選手がいるジムへ出張して手あわせを願っている。

「国内に相手がいなければ海外へ出てもやらせてみたい。相模原ヨネクラさんが育ててることは知ってますよ。いずれ対戦できる機会があればいいですね。ただヘビー級もこれから後、ほかのジムから選手がでてくればいいけど、その可能性はどうかな、そこらあたりが何とも難しいところですよ」

と原田会長は言った。

このほか名古屋の中日ジム、八王子中屋ジム、ヨネクラジムといったところがヘビー級の選手を誕生させている。

こういう状況をふまえて、前出の岩本はさらにこうつけ加えた。

「まず実力云々ではなく、長い目で見ていくことが必要だよね。ヘビー級でデビューしたからといって、スグに世界で活躍するのはまずムリでしょう。五年、十年先を見なくちゃダメだと思うんですよ僕は。相模原ヨネクラのヘビー級の選手はまだデビューしていないし、練習も見たことないけれど、育成できるジムがあるというのは素晴らしいことだと思う。コーチィングできるスタッフがいればウチでもやりたいと思うよ、ホントに。今は日本のプロボクシングにヘビー級という土壌をつくることが大事だし、意味のあることなんだ。昔も和製のヘビー級ボクサーが出たけれど"水増し"だったでしょ。だからミドル級の選手にも負けて、いなくなってしまった。それでみんな"ああやっぱり日本人のヘビー級はダメなんだ"と思ったんだ。でも今の若い子はドンドン大きくなっているからね、“水増し"じゃないホンモノが出てくる可能性は十分にある。そのためにもヘビー級の土壌をつくることが先決なんだ」

元WBAフライ級チャンピオンで現在MI花形ジムの会長である花形進は、素晴らしい素材が集まるかどうかだと言った。

「ヘビー級? やっぱり迫力が違うからね、選手が育てば面白いよね。相模原ヨネクラのオーデションにしてもさ、ああいうことをバンバンやればボクシングの人気にもつながるし、いいんじゃないかと思うんだけどね、俺は。ただスポーツも色々あるから。野球、バスケット、ラグビー、それに相撲もね。体格もあって運動神経のいいヤツがボクシングをやりたいと思うようにならないとね。要はイイ素材をたくさん集められるかだよ、一人だけ入ってきてもスパーリングの相手もいないんじゃ練習にも不自由するでしょう。西島はよくやってると思う。今までの日本人のヘビー級とはモノが違うし。ああいう選手が次から次へと出てくれば日本でもヘビー級が復活するだろうね。ファイトマネーが軽量級とは全然違うのは魅力でしょ、ヘビー級で世界へいけば一戦で億単位だよ、ただそれでヨシッやってみようなんて思うハングリーなヤツは少ないのかも知れないね。相模原ヨネクラの選手はまだなんとも言えないよ、デビューしてないんだから。でもたまに後楽園で見かけると“オゥ、ヘビー級!"って声をかけたりしてるんだ。まあ、気にはなるね。この業界の人間としては。楽しみにしてますよ」

新開ジム会長の新開徳幸(元フライ級全日本ランキング九位)は、ハートが問題だと言った。

「夢があっていいねえ。うん、いいよ。相模原ヨネクラの選手がどこまでやれるかはワカラン。
でも、夢を追うことはいいことや。洋介山はこの間、いくらファイトマネーもらったんだっけ?一千万円いうてたな。それだけ出ればすごいもんや。大阪城ホールを満員にしたんやし。ヘビー級で強くなればスター間違いなしや。問題はここ、ハートやな。今の子は根性がなぁ。ハートが弱い。ウチのジムにもこの間、デカイのが入ってきてな、ヘビー級じゃない、ただのデブや。それでワシはミドルに落とせ、ゆうたんや。ちょっとキツイ練習させたらヤメよった。な、今の子は根性がない、気合いが足らん。アメリカのスラムあたりから出てくるのとワケがちがう。生きてこれただけでもモウケモンみたいなところで育ったきたんやから、ハンパな根性やないと思うで、ああいうヤツらは。日本の若い子らは今どきケンカなんてせんやろ。そういうヤツと死にもの狂い生きてきよったヤツとではなあ、まあ、俺が世界奪ったる、くらいの根性入れて頑張れ、いうことやな」

草加有沢ジムの有沢好男マネージャーはいかに選手層を広げていくかだろう、と言った。

「すべては相模原さんをはじめ今ヘビー級の選手を育てているジム次第でしょう。あちこちのジムで出てきてるらしいから順調に成長すれば、ほかにも育ててみようと思うジムが出たり、身体の大きな若い子がヘビー級でやりたいと考えるようになるんじゃないかな。スグにやめたりするようだと、難しいかも知れないね。なにしろ選手層が厚くならないと、レベルだって上がらないし、もう少し経ってみないと何とも言えないなあ。対戦相手に外国から三流の選手を連れてきて勝たせても仕方ないし、かといって試合のたびに外国へ行くんじゃ大変だしね。国内でヘビー級を盛り上げて行くためには、日本人同士の試合ができるようにならないと厳しいんじゃないかな」