一九九五年、九月三十日、ラスベガスはアラジンホテルの劇場内特設リング。
本日のメインイベントには、キューバ出身の怪人ジョージ・ルイス・ゴンザレスが登場する。
三ヶ前にリデイツク・ボウのWBO(世界ボクシング機構)タイトル挑戦に完敗して以来の復帰戦だ。
メインイベントの前に五試合、後に一試合の計七試合のファイトが組まれている。
そのなかの第一試合と第七試合に日本人の名があった。
第一試合に酒井公高、第七試合に浅利和宏という選手が登場する。
二人の所属は日本ボクシング協会加盟相模原ヨネクラジムである。
注目すべきはラスベガスでの試合、ということではない。
二人の階級、酒井はクルーザー級、浅利はライトヘビー級という、日本ではこれまで不毛の重量級でデビュー戦を行うことだった。
今、リング上でコールを受けているのは第一試合、酒井公高であった。
「みなさん、お待たせいたしました。ただいまより第一試合、クルーザー級の四回戦を行います。
まずは青コーナー、190バウンド、コロラド州はデンバーからやってきたテリー“ヘッドハンター"ロペスー、ロペスー。
赤コーナー、188バウンドー、日本からラスベガスでデビュー戦を闘うためにやってたき若きファイター、キミタカ・サカイーッ、サカイ!」
酒井がコーナーから少し歩み出て、客席の四方に向いて挨拶をする。口笛が鳴り、拍手が響く。
思ったより声援が多い。
トレーナーの春日井が酒井に声をかける。
春日井はこの一年、まったく素人だった酒井にボクシングを手取り足取り教えてきた。
「いつも通りやれば大丈夫だ。一ラウンド目はまず様子をうかがえ。相手が突っかかってきても、まともに打ち合うな。向こうはスタミナがないから二ラウンドからじっくり料理できるから、な」
「はい」
ウンウンとうなずきながらそう返事をしたものの、酒井の耳にその指示はほとんど入っていなかった。
頭のなかは真っ白だった。レフェリーから試合前の注意が与えられているときも、声は耳に入ってこなかった。中学や高校にいた頃にしたケンカ前の興奮状態とも少し違う。
ケンカならルールを聞く儀式なんてない。身体の中に今まで出たことのないアドレナリンが駆けめぐっているようだった。
カーン。
七時四十六分、第一ラウンド開始のゴングが鳴った。
はじめはジャブからだ、リング中央に向かいながら、酒井はそう思った。