3 ヘビー級ボクサーの卵たち(滝川武弘の場合)

滝川武弘の場合。 

滝川は小学校から大学まで柔道一直線であった。  

高校も大学もスポーツ特待生で入った。

滝川は二枚目だ。

時代劇の俳優が似合うようなキリッとした目鼻立ちをしている。

柔道というとズングリした体型を思い浮かべがちだ。

しかし滝川はガッチリとしてはいるが、足が長い。

柔道をやっていたと言うとたいていの人は意外な顔をする。

アメフトか水泳といった感じである。 

「父が柔道をやっていたので小学校から自然と始めました。本格的に練習したのは中学に入ってから。スゴイ練習量でしたね。朝は走ってから、学校近くの川の土手をダッシュ、それも腰にひもを付けてトラックのタイヤを引っ張るんです。そして午後は四時間くらい道場で練習です。当時すでにウェイトトレーニングもしていましたからね。高校も全国的に名の知れた学校でここも練習は厳しかった。ただやはりその分、成績はそれなりのものを残せたと思います」

身体のバランスがイイせいか、マイナス九五キロ級という重量クラスでも、ほかの選手よりはるかにスピードがあった。投げられることも滅多になかった。
 七五キロ級の選手のスピードにも十分付いていけたという。 

「大学の同期にボクシングの全日本チャンピオンがいたんです。今もアマチュアでやってますけどね。その友達の試合を見に行ってから興味を持ち始めたんです。柔道に対する熱が冷めかけていた反動もあったのかなあ。ボクシング部の後輩に基本を教えてもらってミット打ちをやったりしていましたね。またその頃のバイト先でボクシングの経験者がやけに多くいて、そういった影響もあったのだと思います。卒業の年、医薬品メーカーから内定をもらった頃、オーディションの広告を見ました。就職はいつでもできる、でも、若いうちにしかできないことがある、そう思って受けたんです。親は反対しました。二、三年やってまったく芽が出ず、ものにならないようだったら辞めるから、そう説得しました」 

仮合格組の四人にとって、オーディションはまたとないきっかけになった。

ボクシングに興味はあるしやってみたいけれど、ヘビー級では選手もいなくて試合もできない、日本人で実績のある選手もいない。

そこに、ヘビー級の選手を育てるという、オーディションが開催されたわけだ。

それに給料がでる、マンションも用意されるという待遇は、魅力的だった。

 (つづく)