オーディションに合格した五人は、なぜボクシングをはじめる気になったのだろうか。
福田輝彦の場合。
福田は高校を卒業してから、ボクシングのグローブをつけたことは一度もなかった。
高校の部活へ顔を出すこともなかった。
卒業後に就職した自動車販売の会社を辞めてからは、建築関係の仕事に就いていた。
決まった時間に起きて仕事に行き、決まった時間に帰って、気が向けば彼女を誘ってドライブにでかけ、食事をする。
時には一人で単車に乗って気晴らしをする。
そんな、ハタチすぎの若者としてはごく普通の日々を送っていた。
ある晩、高校時代のボクシング部の先生から電話があった。
仕事から帰り、部屋で寝転がっているときに呼び出し音が鳴った。
「福田か、久しぶりだな、今何してる」
「音楽を、聞いてましたけど」
「そうじゃない、仕事だよ仕事」
「ああ、建築関係の仕事ですけど」
「相模原ヨネクラジムを覚えているだろう、前に誘われたあのジムだ。実はな、この間俺のところへ電話があって、今度ヘビー級のオーディションを開くから、この機会にもういちどはじめてみる気はないか、って言っているんだが、どうだ」
「・・・冗談でしょう」
と福田は答えた。
「冗談なもんか、とにかく向こうはぜひにと言っている。一度会長と会ってみないか」
ボクシング、か・・・相模原ヨネクラジム・・・そういえば高校を卒業するときにはずいぶんと熱心に誘ってもらった。
ジムへ見学に行って、軽く練習したこともあったな、と福田は思い返していた。
あの時点ではボクシングで食べていこうという選択はあまりに無謀なことに思えた。
実力云々ではなく、プロにはヘビー級がなく、アメリカで試合をするという話も夢物語にしか聞こえなかった。
高校を卒業してから四年の間に、ボクシングは福田にとって遠い存在になった。
しかし社会人になってからのごく平凡な生活において、インターハイ二連覇の実績に変わる勲章も、熱中して取り組めることも手に入れていなかった。
ボクシング、か・・・。
心の中でもう一度つぶやいた。突然舞い込んだ話に驚きながら、福田の頭の中に、相模原ヨネクラの佐藤の顔が浮かんできた。
目がギョロッとしてて、スポーツ刈りで、猪首で、とにかく威勢がいい人だった。
「会って、話を聞くぐらいなら」
と福田は思わずそういう返事をしていた。何でそんな気になったのか自分でもよく分からない、と福田は後でそう言っている。
佐藤と会う約束をしたのはオーディションの二ヶ月前、六月末のことだ。
果たして、四年ぶりに会う佐藤は変わっていなかった。
少し太ったようだが、元気の良さは相変わらずであった。
「よう、福田クン久しぶり、元気だった? 今何やってるの? クルマの会社にまだ勤めてるの、エッやめた、バイト暮らし?。もったいないなあ。
どうだい、またボクシングやるつもりはないか。
今度、全国的に募集をかけてジムに重量級軍団をつくろうと思っているんだ」
佐藤は以前にもまして、熱心に誘った。
福田の体つきを見て、だいぶ贅肉がついたなあ、と思ったが、練習すればすぐ元に戻るだろうし、インターハイでの実績がある。
何としても欲しい素材だと思った。
国内で試合が組めなくても海外へ出ればいくらでもできるし、向こうで練習もさせる、ヘビー級で強くなり有名になったらどれだけ生活が変わるか、といったことを早口でまくしたてた。
三十分後、福田はハイと言っていた。
なぜもう一度ヤル気になったのか。
「もしダメでも、まだ若いから、やり直しはきくと思ったんですよ。
四年前はボクシングを職業にしようとはコレッぽっちも思っていなかったんですけどね。
四年のあいだにナンカ先が見えちゃったということもありますね。
このまま仕事を続けても生活はできる、でもそれでいいのかなあ、なんて考えていたこともあって。格好よく言えば今まで一番自分が光っていたのはボクシングをやっていた時じゃないか、とも思いましたし。ブランクがあるにもかかわらず、また誘ってもらったことは嬉しかった。やるかどうか考えているだけじゃ答えは出ない、やれるところまでやってみよう、そう思ったんですよ」
佐藤は福田がやってみたいと言う可能性は半々だと思っていたので、OKの返事をもらうと顔をクシャッとさせて笑い、
「まず身体を絞ることからだな、焦らなくていいから、ボチボチやっていこう」と言った。
福田の体重はこのとき百三十キロを超えていた。もともと太りやすい体質で、高校の時も普段は一一五キロほどあった体重を試合前二ヶ月で二十キロほど減量をしていた。
高校を卒業してから減量の必要はないわけで当然体重はどんどん増えた。
特に上半身に肉がたっぷりつき、顔もふくらみ、そのわりに目鼻は小さいので、ずいぶんふてぶてしい顔つきだった。
オーディション前、すでに福田の復活はスポーツ関係のマスコミの知るところとなり「インターハイヘビー級チャンプ復活」を記事にしようと多くの取材依頼があった。
福田は元来照れ屋で、取材されることが苦手だった。
「だって毎回毎回、同じことを聞かれて、同じようなポーズをとって写真を撮って・・・それも突然こんなことになりましたからね」
初対面の記者にニコニコ笑って対応するような社交性もなかったし、カメラに向かって笑顔をつくることもできなかった。
また、そういうリクエストもなかった。
写真撮影のときは大抵、睨み付けるように、と言われたので、笑って写っている雑誌はひとつもない。
「どうしてデビューもしてないのにワイワイ取り上げるんだろう、ボクシングはまた始めるけどさ、そんなに騒がれてもな、困るよ、って感じでした」
他の四人と比べて福田の動機はやや弱かった。
どうしてもボクシングをやりたいとずっと思い続けていたわけではなかった。
熱心に誘われて、それならやるだけやってみよう、という気になった。
当時のある雑誌の取材で、夢は何かと聞かれた福田は「世界チャンピオンになって三十歳で引退して明るい老後って感じですかね」と答えている。
リップサービスもあったのだろうが、福田にはそれなりに自信はあった。
アマチュア時代は負けなしの戦績、ちょっと練習すればそこそこまですぐにいくさ。
その後は楽な暮らしが待っている、そんな気持ちが少なからずあった。
その動機の弱さが後々になって問題になるとは、佐藤はもちろん当の福田自身にも想像できることではなかった。