2 相模原ヨネクラジム(2)

佐藤は毎日ジムに顔を出すこともできないし、そのつもりもなかったので、現場を任せられる人聞を探していた。

現マネージャー兼チーフトレーナーの幡野光夫と会ったのはジムオープンから半年ほど経ってからのことだ。

幡野はヨネクラジムに籍をおき、日本J・ミドル級一位まで昇って八七年の十一月に引退している。

ジムの仲間から、

「相模原ヨネクラジムでトレーナーを探しいてるらしいぞ」

という話を聞いたときも、引退後はボクシングとは関わらない仕事に就こうと思っていたので自分にそのお鉢が回ってくることになろうとは考えてもいなかった。

しばらくして米倉会長の紹介で臨時のトレーナーとして週に二、三回くるようになった。

その時、佐藤から専属トレーナーとして就任してくれないかと依頼された。

はじめのうちはホンの二、三ヶ月の手伝いのつもりでいたが、通ううちに選手たちに愛着もわいた。

 それで話を受けた。

神戸出身の幡野は関西弁で、当時の様子を思い出してつぎのように言う。

「弱いし下手な選手ばっかりやったけど一生懸命な子もおったしね。まあでも広いジムに練習生がポツンポツンとしかこんでしょ、当時は五十人くらいしかいなかったんじゃないでしょうか。ジム運営としては大赤字、プロもいたけど情けないくらい弱かったですわ」

練習ではイイ動きをしていても試合に出せば負ける。

負けグセ、負け犬根性が選手たちに伝染しているようだった。

幡野は歯摩くて仕方なかった。それで練習をグッと厳しくした。

朝のロードワークもジムの前に集合して行うようにした。

選手は少しずつ力をつけていった。

ジムとしてようやく格好がついてきたのはここ三、四年のことだ。

新人王も出て、日本ランカーも出した。

年間試合数も勝率も国内のジムでベストテンに入っている。

現在は練習生二百名、プロボクサー三十名、そのうち日本ランカーが五名いる。

ジムとして体制も整ってきた。幡野は現場を預かる身として、次の目標を日本チャンピオン誕生に定めて頑張っていた。

そうした時期に、佐藤からヘビー級のオーディションをやる、という連絡が入ったのだ。

「幡野クン、ヘビー級のオーディションを大々的にやるからよろしく頼む。これはどこもやったことのないことだからね、きっとくる。身体が大きくてセンスのあるヤツがきっと集まるよ」

幡野はこの時、正直「またか」と思った。

幡野は当初ヘビー級の選手のオーディションにあまり乗り気ではなかった。

以前、ほかのプロスポーツ選手をヘビー級のボクサーへ転身を勧めるうえで、佐藤がずいぶんと金を使ったにもかかわらず、結局ものにならなかったことを思い出したからだ。

 本当に大丈夫なのか、という不安をもって当然だった。

しかし佐藤は「金がかかるのは承知のうえだから、とにかく今度こそじっくり腰をすえてヘビー級を育てよう」そう言った。

そしてオーディションによって五名の選手を採用し、ジム設立八年目にして佐藤にとっては念願の、ヘビー級選手を本格的に育成することになったのだ。

佐藤に近い人間からは、オーディションの合格者に対する待遇に疑問の声もあがった。

デビュー前からそんなに甘やかしてボクサーとして大成できるのだろうか━と。

しかし、それが佐藤のやり方なのだ。

「僕はね、あしたのジョーという漫画は大好きだけど、自分が育てるなら“おやっさんとジョーのような関係はできない。泊橋の下の小さなジムから世界チャンピオンが本当に育つだろうか。立派な設備のあるジムをつくって、私生活に不自由させないでボクシングだけに打ち込める環境を用意する、それが僕のやり方だ。浪花節的なハングリーを否定するわけじゃない、精神的なハングリーは必要だと思うけどね。デビュー前の卵に精一杯お金をかけて育てていきたいんだ。定期的に海外へ行って練習して、本物のヘビー級の試合を見て、そしてピバリーヒルズへ行って、お前も強くなって人気が出たら、こういう家に住めるんだ、と言いながらヤル気出させてさ。今の若い子はそういうやり方の方がイイと思う。ボクシングというとどうもイメージが暗いでしょ。お金がなくてストイックな生活して、そういう世界はいやなんだ」

佐藤は、今の日本のボクシングはどうも暗くてあまり好きになれない、と言う。

肉体を極限まで鍛え上げた者向士の、カと力のぶつかり合い。技術と技術のせめぎ合い。

精神力の戦い。こうした本物の戦い、真剣勝負を生で見れば、誰だって興奮するだろう。だからボクシングはもっと人気が出てもいいスポーツだ。

しかし何かが足りない、そう思っていた。

「確かに最近は四回戦あたりの選手でも自分のキャラクターを出すために、派手なトランクスをはいたり、髪の毛を染めたり剃ったりしているのもいるけどね・・・会場の演出とか宣伝をもっと洗練したものにしなければダメだと思う。
四回戦でもBGMをかけてレーザー光線まわしてさ、もっとショーアップしたものにできないもんかね」

佐藤が素晴らしいと思うのは、アメリカの興行方法だ。

ヘビー級のタイトルマッチには俳優や各界の著名人がタキシードを着て、ドレスを身にまとい、観戦にくる。

世界戦でなくても、たとえば四回戦、六回戦でもディナー形式での興行が行われるアイデア、佐藤は日本でも興行を盛り上げていくための様々な工夫が必要だと考えていた。

「僕にとってボクシングは夢だけど、ひとつのビジネスでもあるんだ」

ジムもひとつの企業と考えて、採用した選手にはデビュー前でも給料を払う、部屋も用意するし、ボーナスもあるよ、と呼びかければ素晴らしいが選手が集まるのではないか。

少なくとも入門してくるのをただ待っているだけよりは、そこには金の卵がいる確率が高い、という考え方も成り立つのではないか。

それじゃ今までいる選手たちはどうなるんだという問題もあるが、その周りにいる人間がもっと考えて、話題をつくって、スターをつくって、ボクシング界を活性化する、そういう努力をしなくちゃダメだと、佐藤は思っている。

「ボクシング界が今のままでいいとはいえないよ。もっとメジャーなスポーツにしなくちゃ、人気を出さなきゃ。そのために僕は少しずつでも、色々な努力や試みをしていきたいんだよ」

過去のヘビー級に関すること、あるいはボクシングのチケットはもっと安くすべきだといった言動によって、業界で佐藤のことをよく思わない人聞がいることも確かである。幡野もジムに就任する前はあまりいい印象をもっていなかった。

スポーツ新聞などで佐藤のことを、揶揄するように「ヘビー級オタク」と紹介する記事がある。

しかし、

「確かに会長は昔からヘビー級、ヘビー級言うてますけどね、それだけじゃないんですよ」と幡野は言う。

幡野は、一昨年初めて新人王出したとき、年末で仕事の忙しいなか、佐藤が祝勝会に駆けつけて涙ぐんでいた姿が忘れられない。

ジムのプロ選手の戦績はすべて知っているし、ジムから初めて日本タイトルに挑戦する話が持ち上がったときも、えらく喜んでいた。

また、過去にはデビューからガンガン勝ち上がった選手がスランプになったとき、ガウンを買って元気づけたこともあった。

それに練習中に倒れた選手の病院代を全額ジムでもったり・・・。

冷たいようだが、練習や試合で万一事故があった場合、契約上はジムに責任はない。

どこのジムでも選手とそういう誓約書をとっている。

でも心情としては何かあったら面倒をみてあげたいのは当たり前だ。

幡野はそのとき佐藤が治療費も入院費も全部出す、とひとこと言ったとき本当に嬉しかったことを覚えている。

「うちの会長も根っからボクシングが好きなんですわ。軽量級の選手のことももちろん大事にしてますよ」

(つづく)